eNGawa76

思いついた事を書き留めるやつ。Twitterやってます

なろう小説家

どうも、eNGawa。

なろう小説とは、小説投稿サイトである「小説家になろう」に投稿されている小説。コレを指す言葉だ。なろう小説は、その手の出しやすさから投稿者、閲覧者共に利用者が多く、とても人気のある物になっている。すごい。「小説家になろう」で人気のある作品は書籍化される。また、書籍化が成功すれば漫画化、アニメ化などが行われ、オタク達の肥やしになることが出来る。実例も何個かある。

そして、ここまで、いや、書籍化された時点で今回の主旨である「小説家」という物が肩書きに付く。はず。今まで小説家になろうに投稿する人「なろう投稿者」だった人が、書籍化された事で「小説家」となり、なろう出身の小説家、今回のタイトルにもある通り「なろう小説家」となる大変名誉のある肩書きだと思う。と言うか当人はそう思ってるのだろう。しかし、今回自分が言いたい事は「なろう小説家」とは、本来の小説家である条件"小説を書くことで生計を立てる人"コレに当てはまらずとも「小説家」と呼べるのではないか「なろう小説家」と呼べるのではないかという事である。別に「なろう小説」を差別している訳ではない。むしろ憧れているまである。

では何故、「小説家」と「なろう小説家」で定義が違うと思ったか。それはアクセシビリティの高さ故に良作が埋もれやすいという事。コレだけ聞いてもわからないと思う。自分も他者に言われたらはてなマークが出るはず。はてなブログとかけた訳では無いので勘違いしないように。さて、話を戻す。良作が埋もれやすい事が定義の差異にどう繋がるのか。という話に戻す。初めに行っておくが、くだらない前置きを挟むという事はくだらない理由をカバーするためであり、今からする説明はとてもくだらない物になる。宗教勧誘の様に聞き流してもらっても構わない。では、早速くだらない説明をしようと思う。先程も言ったよう「小説家」と「なろう小説家」で何故、定義が違うと思うのか。そしてその理由として「なろう小説」は良作が埋もれやすい事を挙げた。まず、良作が埋もれやすいと言うのは売れるはずだった作品が売れないという事「なろう小説作家」になるはずの人が「なろう投稿者」のままになっているという事であり、そのような状態になっているのに「小説家」の定義"小説を書くことで生計を立てる人"を流用するのはどうかと思う。なので自分が思うに「なろう小説家」の定義とは"小説家になろうに定期的に投稿している一定の読者を満足させている人"というのが正しい。あくまで私意なので、異論があれば誰かに文句言ってください。

自分の乱雑な文章のせいで何を言っているのかわからない人用にまとめると

今回の趣旨「小説家」と「なろう小説家」の定義が違うと思う私意。理由。なろう小説は良作が埋もれやすいため「小説家」の定義を使い「投稿者」と「小説家」を分けるのは適切ではない。なので「なろう小説家」は別の定義が必要。"小説家になろうに投稿している一定の読者を満足させている人"という定義が適切。という滅茶苦茶な流れでした。簡潔に言ったら小説家になろうに投稿している人はみんな「なろう小説家」である。という事になりました。

では、また今度もよろしくお願いします

咀嚼音放物線

彼のクチャラー具合には驚いた。ソレをSNSに載せたら、どのくらいの同調を得られるのだろうか、考えると虚しくなる。ただ、自分がこの社会に溶け込めていない。その現状を映し出すだけだから。 

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彼のクチャラー具合には驚いた。その堂々とした咀嚼、クチャラーと言うよりクチャリスト。だが、僕と彼、僕の立場上、彼には何も言えない、それが悔しい。見てみろ周りの視線を、どこを見ても人と目が合う状況になっている。まず、その食べ物からどうやったらその音が出るんだ。彼の食べている「とんかつ定食」ごく普通のとんかつ、ありふれたとんかつ。しかしどうだ?彼のとんかつからでる音、まるで乾燥した餅を唾液で柔らかくしながら咀嚼してる様な音。ソノとんかつは「笑い袋」と同じ構造なのか?噛むと音が鳴るのか?例えそうだとしても、ソノとんかつが生み出すものは「笑い」ではなく「不快」なのだ。

とても傍迷惑なとんかつだ。

そんな訳あるか。脳内で自分でネタ提供からツッコミをこなす、こうすれば苛立ちが軽減される。はず。仮に僕の脳内を誰かが覗き見た暁には意味がわからず卒倒するだろう。まず、人の脳内を見る。そんな事は有り得ないだろうが。

「よし!じゃあそろそろ戻るか!」いつの間にか「不快」が終わっていた。「そうですね、もう時間ですし戻りましょうか。」

我ながら感情のコントロールは上手いと思う。明日の昼食はなんとかして断ろう、身が持たない。帰り際にいつもコレを思っている。我ながら成長してないな。

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くちゃもちゃかちゅくちゃサクッもちゃもちゃかちゅくちゃくちゃサクッじゅち

何だその申し訳程度の「サクッ」はイライラする。

彼は今日もクチャリストだ。何も変わらない咀嚼、変わらない僕の嫌悪感、変わらず社会にとけ込めない僕。彼行きつけの定食屋。クチャラーが蔓延る定食屋。彼が頼んだのは「とんかつ定食」ごく普通の、ありふれたとんかつ。3ヶ月前は正常だった客の思考が今では異常。彼が仮に周りを見ても誰とも目が合わない、目が合うのは僕の方。今の社会で僕は異常者なのだ、嫌悪していたクチャラーと同じ立ち位置。それが今の僕。だが、僕はおかしいと思わない。社会は無常なのだ。だから、自分は異常者として今の社会を生きる。いつか変わるはずのこの社会、僕はそれまで異常者であり健常者として生きる。

 

 

 

咀嚼音と都会人

いつも、流行りのJ-popが流れていた行きつけの喫茶店

今では流れる音楽もなく、ただ咀嚼音が不快に、不祥に鳴っていた。

その音を立てるのはクチャラー

前は蔑称だったこの呼び方、今では、どちらかと言うと敬称になった。

その理由を簡易化すると、絶大な信頼を持つインフルエンサーの影響。

と言う事になる。

 

始まりは先のインフルエンサーがクチャラーであり、その信者から樹形図上に広がり、言うなればクチャラーショックが起こった。少数だったクチャラーがインフルエンサーの発言、各界の著名人によるクチャラーの公言、Twitterで#クチャラーさんと繋がりたいのトレンド一位獲得などの影響で【クチャラー=普通】と云う様な図が出来上がったのだ。

今までクチャラー対し罵詈雑言を吐いていた者達はこぞって手のひらを返した。

僕のクラスメイトにも女子と会話がしたい為に手のひらを返した奴が何人かいる。

しかも、メディアはコレに乗っかり

クチャラーの敬称と称し

クチャリストなるものを作った

そのせいで、クチャラー文化はさらにヒートアップし、クチャラーではない奴は異常者。それが常識になり始め、健常者にとって、元健常者にとって居心地の悪い社会になった。しかしクチャラーが多数派になっただけであって、クチャラーを批難する者はいる。上記の僕の考えを見てもらったらわかる通り僕もその一人、元健常者だ。

まだ書き留めておきたい事があるのだがサイケデリック・ロックのように鳴り響き谺響する咀嚼音のせいで気分が悪くなったので続きはまた今度。